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概要 木谷道場と木谷實略年譜 木谷道場の人々


木谷道場と木谷實略年表

▲故木谷實九段
木谷 實(きたに みのる)
明治42年、神戸に生まれる。
幼い時から碁・将棋に親しみ、囲碁棋士の道を歩む。
15歳で初段、その後の活躍で「怪童丸」の異名を取る。
昭和8年、天才棋士呉清源とともに「新布石」を発表、囲碁界に新風を巻きおこす。
昭和12年、平塚に転居し、自宅を木谷道場とし内弟子をとり、大竹英雄・石田芳夫・加藤正夫・小林光一・趙治勲・武宮正樹・小林覚らの多くの棋士を育てた。
木谷道場は一時、東京の四谷に移るが、晩年木谷は平塚に戻り、昭和50年、市内で亡くなった。

年齢
囲碁事蹟・家族
明治42年
0歳
1月25日、父十作、母菊江の長男として、神戸市水木通8丁目に生まれる。
大正6年
8歳
10月、父方祖父、太田栄次郎の遺言により、父も實を棋士にすることを決意。
小学3年生の時、小野彦太郎の紹介で鳥居鍋次郎に九子で指導を受け、師事。
同7年
9歳
春、神戸神港倶楽部で行われた鳥居鍋次郎の二段昇段披露会の席上、鴻原義太郎四段、久保松勝喜代四段に紹介され、鳥居の推薦で両氏に師事。
同10年
12歳
春、久保松の推薦で鈴木為次郎六段と師弟の盃を交わす。
11月25日、鈴木の許で修業するため上京。久保松の紹介で、ニ所の関部屋から本郷の鈴木の下宿先や芝桜川町の方円社、麹町の広瀬平次郎七段の許などへ通う。
同11年
13歳
鈴木六段が神田の下宿に移ったのを機会に内弟子となる。六華会会員となる。
同12年
14歳
鈴木六段が稗聖会に参加したため、この年創立の中央棋院へ通う。
9月関東大震災
同13年
15歳
2月15日付けで中央棋院より入段を許される。
7月、日本棋院設立、初段棋士として参加。
同15年
17歳
春、日本棋院定式手合で昇段点を獲得、二段に昇段。夏、三段に昇段。
昭和2年
18歳
3月、四段昇段。1月〜5月掲載の東京日日新聞・大阪毎日新聞主催「新進打切棋戦」で十人抜きを達成。「怪童丸」のニックネームをつけられる。また、院社(棋院と棋正社)対抗戦では八人抜きを達成。
同3年
19歳
春期大手合で二等に入賞。
同4年
20歳
春期大手合で優勝。秋期大手合三等に入賞。
同5年
21歳
2月15日、五段に昇段。春、鈴木為次郎七段の許から独立。
同6年
22歳
10月10日、柴野美春と結婚。麹町五番町に所帯を持つ。
同8年
24歳
住居を滝野川区西ヶ原町に移す。翌年滝野川区上中里に移る。住居を滝野川に移すと同時に「仙友会」を創設。同時に、プロ棋士の養成に入る。3月29日、時事新報主催「木谷・呉清源十番碁」開始。
3月長女和子誕生。
8月、保養と『布石と定石の統合』の講述のため、信州地獄谷温泉へ行く。
呉清源を同地に招き、新布石について意見を交わす。
9月、東日・大毎主催「新進打切棋戦」で前田陳爾五段、報知新聞主催「込出敗退戦」で小野田千代太郎六段に黒番で三連星を布いたが、いずれも敗退。
10月4日、秋期大手合で長谷川章五段に白番で3度目の三連星を試み快勝。「新布石」の発端になる
同9年
25歳
2月、六段に昇段。
5月、呉清源らと中国、満州、朝鮮の親善旅行へ出発。
12月、処女作『布石と定石の統合』(誠文堂新光社「現代囲碁体系所収」)を出版。
12月、次女順子誕生。
同11年
27歳
1月1日付けで、七段に昇段。
2月、七段昇段記念『新布石の針路』を日本棋院より刊行。
4月、読売新聞主催「勝抜き三番棋戦」で十人抜きを達成。この頃、大磯に転居。
9月、次女順子没。
12月、長男健一誕生。
同12年
28歳
6月、東日・大毎主催「本因坊名人引退碁」挑戦者決定リーグ開始。
夏、平塚に転居。プロ棋士養成のため「平塚木谷道場」を開設。
12月、次男明誕生。
同13年
29歳
4月、「名人引退碁」挑戦者決定リーグで優勝。本因坊秀哉名人の相手に選ばれる。
6月26日、芝「紅葉館」で引退碁開始。
7月11日、箱根「奈良屋旅館」へ移動。
8月14日、秀哉病気のため中断。
11月18日、伊東「暖香園」で再開。
12月4日、終局。木谷の五目勝ち。
同14年
30歳
9月、読売新聞主催「木谷・呉清源十番碁」開始。第六局で木谷、先相先に打ち込まれる。
12月、三女礼子誕生。
同15年
31歳
第一期本因坊戦(全日本選手権)本戦開始。第5位に終わる。
12月、父十作没。
同17年
33歳
5月、四女智子誕生。
7月、芝、美術倶楽部で「木谷会」発足(遠山元一会長)。
同18年
34歳
1月、八段に昇段(昇段点は前年に達成している)。
同19年
35歳
7月、応召。京城朝鮮第22部隊へ配属。
9月、除隊。
9月、五女信子誕生。
同20年
36歳
4月、木谷家家族、遠山元一別荘へ疎開(山中湖畔旭日丘)。
5月、日本棋院焼失。
7月、平塚空襲により木谷家焼失。
同21年
37歳
1月、「新夕刊」囲碁欄を新設。木谷・藤沢庫之助七段三番碁を掲載。この頃より本格的な地方回りの指導碁に出かけるようになる。
同22年
38歳
10月〜12月、第四期本因坊戦で岩本勲和本因坊に挑戦。五番勝負の結果、2勝3敗で敗退。
11月、三男正道誕生。
同25年
41歳
12月、第六期本因坊戦リーグで坂田栄男七段、長谷川章七段と三者同率となり決戦の結果、坂田七段が挑戦者になる。
同27年
43歳
4月、第七期本因坊戦リーグで木谷を含む五者同率となり決戦の結果、高川格七段が挑戦者になる。
同28年
44歳
5月〜7月、第八期本因坊戦で高川秀格本因坊に挑戦。2勝4敗で敗れる。
同29年
45歳
2月、弟子らと自宅庭でピンポンを行っている最中に脳溢血で倒れる。この後1年半の療養生活を送る。
同31年
47歳
第十一期本因坊戦リーグに復活。
5月、島村利博八段と同率決戦。島村八段が挑戦者になる。
12月、第二期最高位戦リーグで前田陳爾八段を破り、念願の九段に昇段。
同32年
48歳
1月〜3月、第二期最高位戦で坂田栄男に挑戦。3勝1敗でタイトル奪取。
4月、読売新聞主催「日本最強決定戦」で13年ぶりに呉清源九段と対局。
6月、第十二期本因坊戦リーグで藤沢朋斎九段と同率決戦。藤沢九段が挑戦者になる。
同33年
49歳
1月〜3月、第三期最高位戦に島村利博八段の挑戦を受け、五番勝負を3勝2敗で連覇。
3月、第五期日本棋院選手権で坂田選手権者に挑戦。三番勝負の結果、0勝2敗で敗れる。
6月、第十三期本因坊戦リーグで坂田栄男九段、杉山雅男八段と三者同率決戦となり、杉山八段が挑戦者になる。
同34年
50歳
1月〜3月、第四期最高位戦に坂田栄男九段の挑戦を受け、2勝3敗で敗れ、最高位のタイトルを失う。
6月〜8月、第十四期本因坊戦に挑戦者となり、高川秀格本因坊に七番勝負の結果、2勝4敗で敗れ、またもタイトルを逃す。
同35年
51歳
2月、第七回NHK杯争奪囲碁選手権に優勝。
同36年
52歳
4月、第十六期本因坊戦リーグに坂田栄男九段と同率決戦となり、坂田九段が挑戦者になる。
同37年
53歳
5月、四谷三栄町に「四谷木谷道場」を開設。
7月、日本棋院棋士会長になる。
8月、「木谷一門百段突破記念祝賀会」が産経ホールで開催。
同38年
54歳
12月、第十九期本因坊戦リーグで高川格九段と対局、対局後、二度目の脳溢血に倒れる。
同39年
55歳
2月、約50日ぶりに対局に復帰。
7月、第三期名人戦リーグ6勝1敗で挑戦を争い、最終局藤沢朋斎九段との対局中、血圧が急に上昇
六十九手で棄権負けとなる。
同40年
56歳
日本棋院理事に選出される。
10月、紫綬褒章を受章。
同42年
58歳
3月、木谷実選集『わたしの碁』(全三巻、日本棋院刊)の刊行開始。
同43年
59歳
7月、木谷實・美春夫妻、大倉賞受賞。
12月、第六期プロ十傑戦一回戦で本田邦久七段と対局。この対局が公式戦としての最終局になる。
同44年
60歳
1月、木谷實還暦祝賀会。
6月、日本棋院理事を辞任。
7月、日本棋院顧問に就任。
同45年
61歳
3月、「木谷一門二百段突破記念大会」がサンケイホールで開催。
同47年
63歳
8月〜9月、ハワイ棋院創立二十五周年記念囲碁大会が行われ、木谷一門でハワイを訪問。
同48年
64歳
7月2日、三度目の脳溢血に倒れる。
同49年
65歳
6月3日限り、「四谷木谷道場」を閉鎖。
同50年
66歳
4月、平塚杏雲堂病院へ入院。11月、帰宅を許される。
12月19日、自宅で逝去。同日、従四位、勲二等瑞宝章を受章。
12月28日、日本棋院葬。
同52年
没後
9月、「木谷實全集」(全五巻、筑摩書房刊)刊行開始。
同53年
没後
5月、「木谷實全集」完結。
平成3年
没後
6月3日、木谷實夫人美春、蜘蛛膜下出血により逝去。享年81歳。



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